
弁護士 岡本英樹
門真市で法律事務所を開くことができたのは、今まで多くの方々に育てていただいたからだと、思っています。
法曹として、何事かを成し遂げる覚悟で、挑戦をし続けたいと思います。
未熟者ですが、どうぞよろしくお願い致します。
プロフィール
【略歴】
2006年 関西外国語大学英米語学科 卒業
2007年 中国の東北大学・四川大学の語学進修生 修了
2016年 石川金属株式会社 退職
2019年 司法試験予備試験 合格
2020年 神戸大学法科大学院 首席修了
2020年 司法試験 合格
<大学時代>
私は、2002年に枚方にある関西外国語大学に入学しました。
大学時代の思い出は、空手と中国です。
高校時代に始めた空手でインターハイに出場し、先輩から大学でもやろうと言われ、空手をするために大学に入りました。
月1万7千円のやまゆり荘に下宿し、空手部の先輩後輩と苦楽を共にしました。空手の練習後で、いつもお腹が空く。アルバイトで稼いだお金は全て食費、酒代に消えました。
そんな折、中国人の留学生と出会ったことを契機に中国に短期留学に行きました。
留学先で中国の人々との交わり、その世界観に大きな衝撃を受けました。
それから、寝ても覚めても中国語を勉強しました。
<留学時代>
大学を卒業してから、就職という選択肢はありませんでした。
大学時代は空手部の主将をつとめていたので、留学には行けませんでした。
このため、卒業してから留学に行こうと思いました。
しかし、お金がない。
半年間アルバイトをして、往復のフェリー券と半期分の学費を払って、後は野となれ山となれ、中国に飛びました。
遼寧省の瀋陽にある東北大学で中国人学生と机を並べて勉強しました。
真に中国を理解するためには三同(共に学び、共に食べ、共に住む)だという先生の言葉を実践するため、特別に中国人学生の寮で生活もしました。
しかし、肺炎にかかって止む無く帰国。
1カ月の療養(入院)の後、後半の留学を気候が良い四川大学にしました。
その時の航空チケットをどのように工面したのか、覚えていません。
四川では、東北では詰め込んだ反省から勉学を離れて、中国人の友人と遊んだりして過ごしました。
<社会人時代>
かみの毛の何分の一かの細さの糸はんだを作るのは、世界でもこの会社だけでした。(当時はそうでした。今もそうなのかもしれません。)
留学から帰国後、私は営業職で日本本社に入社しましたが、2009年上海万博で働くのでいったん退職した後、2012年に再入社し、それから2016年に退職するまで中国現地法人に出向しました。
社内のオフィスでは一番若いのに、中国では副総経理という役職で日本語では副社長となります。
そんな未熟な私を受け入れてくれたのは、私は中国に友好的な気持ちをいつも持っていたからだと思います。
<ロースクール時代>
中国勤務時代にビジネスに携わる傍ら、通信教育課程の法学部に入学しました。ジャン・ジャック・ルソー、トマス・ホッブズ、ジョン・ロック、ジョン・スチュアート・ミルなど思想家の書物に触れ、自分の生き方や仕事の在り方に対する根源的な問題について考えました。
その後、7年間務めた会社を辞め法曹の道を目指して、神戸大学ロースクールに入学しました。ロースクールでは司法試験に一発合格するとの目標を掲げて勉学に励みました。その結果は法学部出身者を含めた学年全体で首席で卒業できました。(社会人から司法試験を目指した体験を書き溜めた原稿をいつか、発表したいと思っています。)
ロースクールで良かったことは、社会人は肩書で人を見ますが、ロースクールの先生は探求心が強い一学生として、法学部を卒業していない私を、公平に扱ってくれたことです。
<弁護士になってから>
私は、社会実践家であるべきだと考えています。
学生時代からお金に苦労し、経験したアルバイトや仕事は10を優に超えます。
中国では、色々な問題に直面し、その度に心が折れそうになったこともあります。でも、今までやってこれたのは、多くの友人のおかげです。
弁護士になった暁には、多くの人のために実践をしなければならないと、考えています。
このため、弁護士としてはやや早めに独立をしました。
困難に直面する方々のために真剣に向き合い、社会的正義の実現に向けて、まい進したいと思っています。